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日本比較文学会 第59回中部大会 次世代ワークショップ

                                                                      

日時: 2026年 5月 9日(土)

場所: 名古屋大学 東山キャンパス 

 (詳しい時程や会場については改めて更新いたします。) 

★今大会はオンラインでも参加できます。

オンラインでの参加をご希望の方は下記申込フォームにて受付をお願いいたします。

お申し込みいただいた方にはオンライン(zoom)接続情報をお送りいたします。

オンライン申込フォーム:https://forms.gle/6V9GGGxJq42yrp6d7

(申込締切:2026年5月8日(金)19:00)

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次世代ワークショップ 要旨

「翻訳文学の読みから創作へ――松本清張・倉橋由美子・村上春樹を中心に」

【ワークショップ趣旨】

 本ワークショップは、日本近現代文学がいかに翻訳を媒介として西洋文学と接触し、それを自らの作品世界において変容させてきたかを、「間テクスト性」の観点から多角的に検討するものである。取り上げるのは、松本清張・倉橋由美子・村上春樹の三作家である。彼らはそれぞれ、ルイジ・ピランデルロ、フランツ・カフカ、ジャン=ポール・サルトルという西洋の巨匠たちのテクストを、単なる模倣や引用にとどまらず、独自の文学として再構築している。

 第一発表では、松本清張がピランデルロの邦訳『死せるパスカル』の扱いを考察対象とし、約70年にわたる時代的、国際的、そして文学ジャンル間の移動を推理小説に取り込み、異文化空間の可能性を検討する。第二発表では、倉橋由美子が「翻訳の文体」を介して、カフカという「他者像」をいかに自らの文学システムへと摂取し、能動的な「読み替え」を試みたのかを明らかにする。そして第三発表では、村上春樹が翻訳を通してサルトルの作品といかに向き合ったのかを検討し、原作という概念の再考を試みる。

 三作家は、翻訳文学の「読み手」でありながら、同時に日本文学の「書き手」として、西洋という「他者」のテクストといかなる創造的対話を繰り広げたのか。本ワークショップでは、近現代における言語文化の越境や翻訳文学、異文化表象をめぐる諸問題を比較文学的に考察してこられた溝渕園子氏(広島大学大学院人間社会科学研究科 教授)をコメンテーターに迎える。本ワークショップでは、同氏の知見を仰ぎつつ、翻訳という営みが日本文学における「自己像」や「他者像」の形成にいかに関わってきたのかを再検討したい。若手研究者による具体的な作品分析と、溝渕氏による文化表象論的な枠組みを交差させることで、比較文学的アプローチの新たな可能性を模索する。翻訳に伴う「読み替え」や「誤読」がいかに創作の原動力として機能し、新たな文学的達成へと繋がるのか。その可能性をフロアと共に問い直したい。この対話を通じて、比較文学的アプローチの今日的な意義を模索する場としたい。

 

発表1 トリックとしての名作―松本清張『生けるパスカル』における『死せるパスカル』の再構築―

                                 名古屋大学大学院博士後期課程 肖瀟

 『生けるパスカル』(1971年)は、日本の社会派推理小説作家・松本清張による作品である。主人公である画家・矢沢辰生は、イタリアのノーベル文学賞作家ルイジ・ピランデルロによる『死せるパスカル』(The Late Mattia Pascal、1904年)の内容を知り、それに強い共感を抱く。そして、精神異常の妻から逃れるため、「偽装死による人生の再出発」という『死せるパスカル』のプロットを、犯罪を構想する際の着想源として用いる。このように、タイトルのみならず物語内容においても、両作品の間には明確な関連性が認められる。さらに、作中における「邦訳『死せるパスカル』」という言及から、松本清張が参照したテクストは、1932年に新潮社より刊行された『死せるパスカル.悪の道』(『世界文学全集』第十六巻 第二期)である可能性が高いと推測される。端的に言えば、本作は、1971年の日本人作家が、1932年に邦訳された1904年のイタリア文学作品を媒介として成立した小説であると位置づけることができる。

 このように本作には、1900年代のイタリアから1970年代の日本への時代的移動、伊日両国間における文化的移動、さらには異なる文学ジャンル間の移動が重層的に読み取れる。本発表では、こうした複数の移動を前提として、既存の文学作品が推理小説の内部に取り込まれることによって、いかにして異なる文化空間の可能性が掘り起こされているのかを検討する。

 

発表2 読み替えられたカフカ―倉橋由美子前期創作再考―

                                 名古屋大学大学院博士後期課程 韓雨彤

 

 倉橋由美子は、フランツ・カフカを自らの「文学的青春」と位置づけ、その前期創作を通じて、カフカの作品、ひいては作家カフカ自身との強い関係性を示している。とりわけ『新潮』1960年8月号に発表された『婚約』には、「この小説のモデルはF・Kafkaであり、文中かれの断片を数箇所利用したことをおことわりします」とのあとがきが倉橋自身の署名と共に明記されている。倉橋は、本作をカフカという作家をKという人物として「連行して行動させてみたもの」であり、「小説の形をとったカフカに対する批評である」と述べている。こうした創作の背景には、倉橋特有の翻訳に対する認識がある。倉橋は、自らが影響を受けたのは外国文学の原典そのものではなく「翻訳の文体」であったとし、翻訳を宿命的な「誤訳」と捉えた上で、そこから「誤解する権利」を享受してきたと回想している。

 本発表では、カフカという「他者像」が、翻訳というフィルターを通じていかに「読み替え」られ、自らの文学システムへと「摂取」されていったのか、その具体的な手続きを検討したい。カフカ的な主題と共振しつつ、翻訳の文体との対峙がいかなる表現の地平を切り拓いたのか。本事例の分析を通じて、一方向的な受容モデルでは説明しきれない作家間の動的な関係性を記述し、比較文学における「読み」の枠組みを再考する足掛かりとしたい。

 

発表3 翻訳を通して現れる『嘔吐』―村上春樹「嘔吐1979」をめぐって―

                   名古屋大学大学院博士後期課程 Joyce Anastasia Setyawan

 

 「嘔吐1979」は、村上春樹による短編小説で、1984年10月に初めて発表された作品である。本作は、40日間にわたって毎日嘔吐し続ける若いイラストレーター「彼」の姿を、「僕」と名指される語り手の視点から描いている。タイトルおよび作中の出来事は、ジャン=ポール・サルトルの『嘔吐』との強い間テクスト的関連性を示唆しており、これまでにも両者の関係性については繰り返し指摘されてきた。さらに村上は、本作において『嘔吐』の日本語翻訳を明示的に参照しており、原作テクストそのものではなく、翻訳を介してサルトルの作品と向き合っている点が特徴的である。

本発表では、この点に着目し、サルトルの原作、『嘔吐』の日本語翻訳、そして村上春樹による最終的な物語としての「嘔吐1979」という三つの層の関係を整理する。そのうえで、「嘔吐1979」における他作品との関係をアダプテーションとして捉えることの妥当性を検討すると同時に、翻訳が介在することで「原作」という概念自体がいかに変容するのかを考察する。さらに、こうした複層的なテクスト関係を、間テクスト性という単一の理論的枠組みに回収すべきなのかという点についても問い直すことを目的とする。

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日本比較文学会中部支部 事務局:

〒464-8601 名古屋市千種区不老町B4-4(700)
名古屋大学人文学研究科・星野幸代研究室 気付

                      中村晴香 

E-mail: nakamura.hikaku@icloud.com

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